善き悪しき人を
嫌わず
煩悩の心を
選ばず
隔てずして
往生は
必ずするなり
住職あいさつ
当山ホームページをご覧いただきありがとうございます。
住職の目﨑証(めざきいさむ)、法名は釋法証(しゃくほうしょう)と申します。
平成30年6月から初代住職の目﨑邦昭に代わり、第二世住職に就いています。
当山の歴史は浅く、昭和52年に私が生まれたことを機に、私の祖父である目﨑喜一郎夫妻が私たちと同居するため、新潟県より埼玉県の春日部の地に移住して来られました。移住後、祖父が僧籍を持っていたことから、近隣寺院でお手伝いを始められ、その活動が当山設立の機縁となりました。その後、父である目﨑邦昭が、祖父の願いに応え、開教所「三宝寺」を設立し、初代住職となったのです。
当所、まだ幼かった私にとっては一般家庭から、急にお寺へと変わったことに対する戸惑いもありました。一家の団らんの場として暮らしていた居間が、本堂に変わり、法要のある時間は嫌々外に出されていたのを思い出します。
そして、初代の父は積極的に布教活動をし、念願叶って小さいながらもプレハブ造りの本堂が建立されました。その様な祖父や父の姿を見て、「お寺って楽しいところだね」(記憶にありませんが・・・)と言うようになったと、母はよく語っておりました。
開基となった祖父は、「何よりお参りが大好き」な方でした。ご法事のご依頼があれば、喜んで何処までもお参りへ行っていました。それは純粋にひとりの門徒として、分け隔て無く皆さまとご一緒に仏さまに向き合い、ご縁を結びたいと願っておられたのだと思います。正に「選ばず、見捨てず、嫌わず」(摂取不捨)の如来のお心そのものとも言えます。
開基の祖父、初代の父から受け継がれてきた当山の願いは、一般庶民の出だからこそ「常に庶民の立場」で、宗祖親鸞聖人のみ教えに触れ、皆さまとご一緒にお念仏し聞法していく道場(草庵)としていくことです。「仏さま・お念仏の教え・お念仏を頂く人々」の三宝がそこにあれば、大きな伽藍も小さな道場も代わりませんし、ご家庭のお内仏(御仏前)やお墓もまた同じ意味を持つと思っております。更に当山では、旧来の檀家制度を必要としておりません。”お寺の”門徒(檀家)ではなく、私たちは阿弥陀如来の門徒であり、宗祖親鸞聖人の門徒であり、皆さまにとって大切な仏さまの門徒なのだと。つまり、広く言えば「仏教の信徒」でよいのです。信徒さんならば、当然出入りは自由です。1ヶ月前に当山でお参りし、次の月には他のお寺へお参りされたとしても差し支えはないのです。むしろ、その方々にとって新たな仏縁の場が開かれたのだと、喜ばしく思います。
住職に就いた私自身も先代方の願いを受け継ぎ、皆さまと同じ目線で寄り添い、何気ない「日常生活」の中でみ教えに触れ、心の拠り所となる開かれた寺院を目指してまいります。「お寺の感覚より、庶民の感覚」を指針として、寺院活動をしてまいります。どなた様でも、お気軽に三宝寺へお立ち寄り下さい。
令和2年10月21日
三宝寺第二世住職 釋法証