本山「真宗本廟」
境内と建物
東本願寺は、浄土真宗「真宗大谷派」の本山で「真宗本廟」といい、御影堂には宗祖・親鸞聖人の御真影を、阿弥陀堂にはご本尊の阿弥陀如来を安置しています。宗祖親鸞聖人の亡き後、聖人を慕う多くの人々によって聖人の墳墓の地に御真影を安置する廟堂が建てられました。これが東本願寺の始まりです。
東本願寺は、親鸞聖人があきらかにされた本願念仏の教えに出遇い、それによって人として生きる意味を見出し、同朋(とも)の交わりを開く根本道場として聖人亡き後、今日にいたるまで、門徒・同朋のご懇念によって相続されてきました。
親鸞聖人は、師・法然上人との出遇いをとおして「生死出ずべきみち」(凡夫が浄土へ往生する道)を見出されました。人として生きる意味を見失い、また生きる意欲をもなくしている人々に、生きることの真の意味を見出すことのできる依り処を、南無阿弥陀仏、すなわち本願念仏の道として見い出されたのです。
それは混迷の中にあって苦悩する人々にとって大いなる光(信心の智慧)となりました。そして、同じように道を求め、ともに歩もうとする人々を、聖人は「御同朋御同行」として敬われたのです。
どうぞ心静かにご参拝いただき、親鸞聖人があきらかにされた浄土真宗の教えに耳を傾け、お一人お一人の生き方をお念仏の教えに問い尋ねていただきたく存じます。
真宗本廟ホームページより
◎御影堂
世界最大の木造建築で、宗祖・親鸞聖人の御真影を安置しているところから、御影堂と呼んでいます。
御真影を中心にその左右には、同朋の代表として、真宗本廟の給仕、仏祖の崇敬にあたられた歴代門首の御影(おすがた)をはじめ、ご本尊・阿弥陀如来のはたらきを漢字であらわした「帰命尽十方無碍光如来」の十字名号と、「南無不可思議光如来」の九字名号をお掛けしています。
金地に蓮水の壁画は、幸野楳嶺画伯(1844~1895)の筆によるものです。
◎阿弥陀堂
御本尊・阿弥陀如来を中心に、その左右には親鸞聖人が「和国(日本の国)の教主」として仰がれた聖徳太子をはじめ、今を生きる私たちに阿弥陀如来の願いを「南無阿弥陀仏」という真実の言葉によってあきらかにし、親鸞聖人に本願の教えを伝えてくださった、七高僧といわれる龍樹・天親(インド)、・曇鸞・道綽・善導(中国)、源信(日本)、そして法然上人の7人の御影をお掛けしています。
◎御影堂門
京都三大門の一つで、楼上の正面には浄土真宗の聞法の根本道場であることをあらわす「真宗本廟」の額が掲げられています。
楼上の堂内には、中央に釈迦如来、左に阿難尊者、右に弥勒菩薩の三尊像が安置されています。これは、釈尊(お釈迦さま)が阿難尊者、弥勒菩薩に、真宗の根本経典である『仏説無量寿経』(大無量寿経)を説かれたことあらわしています。
この門から教えに入り、また、その門を出ることは、新たな人生の出発が始めることを意味しています。
大谷祖廟
大谷祖廟は、宗祖親鸞聖人ご入滅後一〇年の一二七二(文永九)年、それまでの親鸞聖人の墳墓を改め、廟堂を建てて聖人の御影像を安置したのが起源です。その後、いくたびかの移転等の変遷を経て、本願寺の東西分派後の一六七〇(寛文一〇)年、墳墓にほど近い現在地(京都市東山区円山町)に祖廟として造営されました。元禄年間に御廟の改装、守堂の建立がなされ、一七四五(延享二)年には八代将軍・徳川吉宗から一万坪の土地を寄進されるなど拡充を続け、現在に至っています。
真宗本廟ホームページより